Wedding Essay

岸田奈美の
“夢でブーケを投げ続ける”

ESSAY 03

波乱の結婚式場で、働き続ける人たちは声を聞く

サンタクロースにねだりたかったものは、本当のところ、ゲームソフトだった。

6歳か7歳くらいの頃だったろうか。クリスマスの朝、枕元に置かれていたのは重箱ほど分厚い「生き物図鑑」。

図鑑を嬉々としてめくるほど生き物を愛でていた記憶はないのだが。

「わあ、図鑑だ!」

わたしとしては、ただ事実確認をしただけなのだが、父はその様子を満足そうに眺めていた。ほうら、俺の子や。そんな声が聞こえそうなほど。父はわたしに、ゲームより本を与えたがった。

そんな調子だから、本当はゲームソフトがほしいとは言えない。大好きな父が喜んでるからまあいっかという妥協で、毎年、サンタクロースにも誕生日にも、わたしは本をねだった。

父が亡くなる少し前、最後に送ってくれた本は、「お仕事図鑑」。

父はゲームより、本より、仕事を愛していたのだ。

図鑑にならぶ514種もの仕事に、わたしは目を輝かせた。仕事をしている時の父は、とても楽しそうで、誇らしそうだった。きっとあれは父にとって天職だったのだ。

わたしも大人になれば、きっとかならず、天職に出会えるのだ。

好きなことを仕事に。
得意なことを仕事に。
褒められることを仕事に。

そう信じて、疑わなかった。

ところで岸田家で一番だらしない人間はわたしで、一番きっちりしている人間は母である。しかし意外なことに、就職においてのみ、ダントツで経歴が荒れているのも母だ。

うら若き日の母が最初にアルバイトとして勤めたのは、ケーキ屋だった。理由は簡単である。かわいいから。しかし始まってみれば、パティシエでもなければ接客経験もない母に任されたのは連日、焦げたスポンジがこびりついた焼き型や、デロデロの生クリームがへばりついた皿を、真冬の冷水でチャチャ洗いし続ける仕事だった。心が折れた母は、おこぼれのケーキをもらうこともなく早々に辞めた。

次に始めたのは、和食割烹の手伝い。誰もがうらやむ高級店で和服を着て、しゃなりしゃなりと歩けるかと思いきや、深夜までひたすら、おせちをギュウギュウに詰め込む仕事だった。途中で気が遠くなり、自分がなにを詰めているのかがわからなくなったそうだ。

バリバリのオフィスレディになれるかのような触れ込みで募集されていた営業の仕事に就くと、誰かれ構わず「近々、どなたか亡くなりませんか?墓石はいかがですか?」と唐突すぎる電話をかけまくる営業チームに配属され、電話口から連日地獄のように怒鳴られ、これもその日に辞めた。

そんな母が特につらかったという仕事が、ホテルの結婚式会場の配膳係だ。

いつも目先の甘っちょろさに軽々と釣られる母だが、昭和のバブルど真ん中時代の結婚式場といえば、とにかく派手で華やかで、ここで働いてみたいと思ったそうだ。

案の定、働いてみればそこは、当たり前だがミスの許されない、スピードと機転がなにより重視される戦場だった。

お祝いの席の食事は、たとえ何十人が列席していようとも、温かいまま運ばなければならない。一度の披露宴が終わっても、また一時間後には別の披露宴が控えている。皿を回せ。人を回せ。手を止めるな、お祝いを止めるな。たぶんそんな感じである。

「あかんで。華やかな仕事ほど、見た目より厳しくてしんどい世界なんや」

母は渋い顔をして、わたしに伝承する。

そこからなんとなく、結婚式場の仕事はハードだというイメージをわたしも抱いていた。

新郎新婦にとっては、一生に一度の結婚式なのだから、念には念を入れて準備をしたいし、つまらないミスは許せない。でも結婚式場で働く人々にとっては、それが日常なのだ。

毎日、だれかの結婚式がある。
だれかの結婚式のために、駆けずり回る人がいる。
土日も、昼夜も、雨の日も風の日も。

わたしの住む街にも結婚式場があるのだが、買い物のついでに横切るたび、いつも同じスタッフの人が、今日は人類最良の日であることを疑わないような満面の笑みを浮かべ、列席者を見送っている。見ているだけで疲れそうだ。

このエッセイを連載するにあたり、テイクアンドギヴ・ニーズで働くみなさんからお話を聞く席を設けてもらったのだが、わたしのイメージが大変失礼にも先述のような調子なので、わりと身構えていた。

「お一組の結婚式で、プランナーさんはどれくらい打ち合わせをするんですか?」

役員室で広報をしている小笠原さんにたずねた。

「だいたい、7回くらいでしょうか」

「7回!?」

「はい。2時間ずつが、7回です」

14時間だと。

途方もない時間のように思えるが、小笠原さんの話では、それでもずいぶん駆け足だという。

「1回目はどんな結婚式にしたいかというカウンセリングと、テーマの打ち合わせをガッツリやります。A3の用紙3枚に、お二人の過去とか、好きな色とかを書いてもらって、それをもとにお話します」

「テーマってなんですか?ナチュラルグリーン系とか、ラグジュアリーゴールド系とか、ゴーゴーバブルディスコ系とかですか?」

そんな分類があるのかもわからない。適当である。

「そうですね。ほかのプランナーが担当させていただいた事例だと、たとえば、遠距離恋愛が長かったカップルですと、その間に二人を繋ぎとめていた大切なものがなにかをお尋ねします。毎晩の電話が楽しみだったというお話をうかがって、“糸電話”が式のモチーフになったこともありました」

会場のいろんなところに糸電話を模したかわいらしいグッズが置かれたり、演出や写真に糸電話が使われたりしたそうだ。

一生に一度の結婚式をしようと決めたはいいが、

「じゃあ、わたしたちのテーマは糸電話でお願いします!」

とハキハキ答えられるカップルは、稀ではないか。わたしのように、人と違うなにかはしたいが、なにをしたらいいかがわからない人間でこの世はあふれている。美容室へ行って、どうしたいかと尋ねられても「なんかいい感じで」としか言えず、しっくりこない髪型にいつも泣き寝入りする。

つまり、本人たちですらわからない「大切な気がするけど名づけられない何か」を引っ張り出すのは、プランナーの読解力と想像力とヒアリング力に依存する。

打ち合わせ一回目から、どう考えても大変そうである。

「じゃあ二回目は……?」

「招待状の打ち合わせです」

「他には?」

「招待状だけです」

「まさか」

「招待状の打ち合わせだけで、二時間です」

小笠原さんはさも当然のように、ニコニコと笑っていた。とんでもない現場に来てしまった、そう思った。

今まで何度か結婚式の招待状を受け取ったことはあるが、なにが書かれてるかなんて、ほとんど覚えていない。送ってくれた夫婦には申し訳ないが、どれもこれも同じように思える。

「招待状はどれだけ遅くとも、挙式の二ヶ月前には列席者のお手元になくてはならないので、一番先に進めます。どなたをお呼びするかを考えるのにお時間も必要ですし」

たしかに。誰を呼んで、誰を呼ばないか。誰に義理を通すか。わたしが一番苦手な人間関係のジグソーパズルだ。考えたくない。面倒くさい。

「新郎様と新婦様で招待人数に差があると、それは気になるから調整したいという方もいますし」

「ああ……」

「あとは、招待状の差出人をどなたのお名前で出すかで悩む方々も」

驚いた。

差出人は新郎新婦だろうとわたしは思い込んでいたのだが、昔はそれぞれの親の名前で出すのが普通だったそうだ。

結婚式とは、家と家の結びつきだからだ。式場の手配も、費用の捻出も、もてなしも、すべて親族がやる時代があった。確かに、狐の嫁入りってそんな感じだもんな。知らんけど。

だけど今は、家と家の結びつきよりもっとカジュアルな意味合いで、お世話になった人たちを新郎新婦自身がもてなしたいという意識もあり、差出人名も新郎新婦が多くなってきた。

「誰のために、なんのために結婚式をやるのか、ということからまずはお話し合いが必要になりますね」

たかが招待状でも、結婚式の根幹を揺るがす要素をはらんでいる。

「スムーズに決まればいいけれど、なかにはご両親と新郎新婦が両者一歩も譲らない状態になることも……」

お家騒動である。

まだあと5回も打ち合わせがあるんだから、そんなところでもめんといてくれと思うが、気持ちはわからなくもない。大切な子どもの結婚式を、親が開いて送り出してやりたいというのも親心だ。

「そういう時はどうするんですか?」

「どうにもならなくなったら、プランナーが直接、親御様へお電話をしてご説明することもありました」

プランナーたるもの、お家騒動に巻き込まれてなんぼなのか。その生きがいたるや。

すでに二回目の打ち合わせで息切れしそうだが、この後も、列席者へのお食事、テーブルセッティング、ブーケの色や種類、流す音楽など、山のような決めごとが控えている。

すでにパッケージみたいなものがあって、三択の中から選んでチョチョイのチョイで式が出来上がる仕組みなのかと思っていたが、テイクアンドギヴ・ニーズではオーダメイドにこだわっているそうだ。

「タブレット渡して、パパッとアンケートに答えるだけで理想の挙式プランが表示される……みたいなことをやるわけにはいかんのですか?」

思いきって、小笠原さんに尋ねてみた。

「そうですね、もっと効率的にはできると思うんです。そっちの方がいいっていうお客様もいるかもしれません。でも……」

なんて言ったらいいかなあ、と彼女は少し言葉を選んでいた。

「良いコミュニケーションって、非効率な瞬間から生まれることが多くないですか?」

落雷のような衝撃だった。

そうなのだ。これだけITが発達した時代において、人間の不完全な会話というのは、非効率なのだ。すべてYESかNOで答えればいい。顔を突き合わせずともメールを送ればいい。

だけど、くだらない雑談をしている時こそ、ぽろっと人柄の滲む本音があらわれる。100文字で済むことを2000文字で書いてしまうわたしの欲望は、そこにある。

「一生に一度、お二人が大切にしているものを形にする結婚式なので、非効率だとしても、内なる声を探っていきたいんです」

「ぶっちゃけ、めっちゃ大変じゃないですか」

「大変……ですね……。挙式が近づくほど、体力勝負になります」

戦場だったと言い残した母の姿が目に浮かぶ。自分のためならまだしも、他人の幸せのためにそこまでできるだろうか。いくら仕事とはいえ。わたしはできない。

「どういう人が、結婚式場で働き続けられるんですか?」

「これ、すごく説明が難しいんですけど、たとえば、幸せな人を見ていると幸せになれる人とか」

「そんな人、いるんですか!?」

「いるんですよ!」

わたしは汚い女なので、こっぴどく失恋する度に、恋愛体験談の掲示板にアクセスして「三股 浮気 クソ男」などと検索し、下よりも下がいることでほくそ笑んでいた時期がある。街中のチャペルから出てくる新郎新婦を見たら、頭上を翔ぶ鳩たちに急な便意が訪れますようにと祈った時期もある。

「だれかが幸せになるのをお手伝いして、喜ばれることがなによりの報酬だって心の底から言える人が、ここには何人もいるんですよ」

「それってもう才能ですよね」

口から飛び出た言葉だった。

才能。

才能とは、どんなことが得意か。どんなことが好きか。どんなことが認められるか。そういうことだと思っていた。

でも違うのだ。

だれのために、なにをすれば、幸せになれるのか。幸せを感じとれる方法も、立派な才能なのだ。他人を喜ばせて、自分が幸せになれるという、類まれなる才能。

哲学研究者の近内悠太さんと話しているとき、教えてもらったことがある。

わたしや母が探し求めていた「天職」とは、得意なことで効率よく稼げる職業のことではない。天職は英語で「calling」だ。

誰かから呼ばれること。誰かの声を聞くこと。
それが天職の語源なのだ。

テイクアンドギヴ・ニーズで働き続けている人たちは、「自分たちにとっての幸せを探り、式という形にしたい」という実は「助けて」にほど近い声を聞きとることができる。そして偶然なのか奇跡なのか、その声に答えることを、自らの幸せに変換できる。

そういう才能を持つ人がいるから、良い結婚式は存在するのだ。
なんだか拍手を送りたくなってきた。

「岸田さんにぜひ会ってほしいスタッフがたくさんいるんです!」

嬉々として広報のみなさんから言ってもらえて、自分の結婚式について考える機会のはずが、いつのまにか、結婚式の中に生まれてきたいくつもの声を、わたしも聞きたくなってきた。

岸田 奈美(作家)
Profile
岸田 奈美(作家)

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科2014年卒。在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。2020年9月『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)、2021年5月『もうあかんわ日記』(ライツ社)を発売。