Wedding Essay

岸田奈美の
“夢でブーケを投げ続ける”

ESSAY 02

パンダを抱え祝いを知る

「お祝いだから」は、魔法の言葉かもしれない。

三年前、十二月はじめの深夜。
わたしは血眼になってパンダを探していた。

ことのはじまりはこうだ。
職場の同僚である新郎から、結婚式の二次会の幹事を頼まれた。
彼は少年野球のコーチをしていて、子どもたちもたくさん呼ぶということで、予算と敷居はできるだけ低く、にぎやかにしたいとのことだ。
新婦もわたしの学生時代の友人で、野球観戦が好きだった。

それなら思いきりカジュアルに、野球の演出を盛り込もうと考えた。
高校野球の入場行進風に、ふたりを会場へエスコートするとか。
「新婦&新郎」と書いたプラカードは手づくりするとして、
それをパンダの着ぐるみに持たせ、行進してもらうことにした。
いわゆる、出オチとしてのパンダである。

一番安い値段でパンダの着ぐるみを貸してくれる会社を探し、電話で予約した。
料金の支払いも終わり、あとは会場に配達されるのを待つばかり。
その間にも、もう一名の幹事と席札や景品つきクイズの用意に追われた。
激務の会社だったので、毎日深夜までヘロヘロになっての準備だったが「お祝いだから」という気持ちが、わたしたちを優しく包み込んでいた。

そして前日の夕方。事件は起きた。

「パンダが、届いていません」

会場から電話があった。血の気が引いた。
もしかして、到着日を間違えられたのだろうか。
ドキドキしながら、レンタル会社へ電話をかける。

だが、事態ははるかに深刻だった。

『おかけになった電話は、現在使われておりません』

ホームページにアクセスする。
一ヶ月前まで確かにあったURLが、存在しない。

夜逃げ。
その三文字が、わたしの頭をズガーンッと撃ち抜く。

最後に届いた会社からのメールを見ると、関西の会社だった。
近くに住んでいる別の同僚に、急いで連絡をした。

「休みなのにごめん!今から教える住所の会社まで車で行ってくれない?」
「いいけど……もう夜逃げしたんでしょ?」
「差し押さえ前のパンダがあるかも!」

人生で「差し押さえ前のパンダ」という言葉を使うのは、これが最初で最後だと思う。友人が車を走らせている間、わたしは片っ端から問屋に連絡をした。

そもそも、土曜の夕方なので、電話がつながるところがほとんどない。
やっとつながっても

「パンダですか、いつ必要なんです?」
「明日の昼です」
「はあ?」

門前払いだった。それもそうだ、宅配便だって集荷受付時間を過ぎている。

差し押さえ前のパンダも、会社にはシャッターが閉まっていて確保できなかったようだ。終わりかと思ったその時、さっき断られたはずの問屋から、電話がかかってきた。

「さっきは無いって答えたんですけど、どうやら倉庫に控えの着ぐるみがあるみたいで。どうします?」

控えパンダだ。
思いもよらぬ控えパンダの登場に、叫びだしそうになった。
ここから車で一時間以上かかるが、背にパンダは代えられないので、二つ返事で「貸してください!」と答えた。

夜中に巨大なパンダが詰まったダンボールを、腕を痺れさせながら運ぶ。何度か転んで、ダンボールからパンダの首が転がり落ちた。寒さと疲れで泣きそうになりながらそれを拾う。

このパンダを会場に置いたら、徹夜でクイズのスライドを作るんだ。あと司会のカンペも。二次会が終わったら仕事の出張だ。ああ眠い。寒い。

なんでこんなことをやっているんだろう。
何度も折れそうになったわたしたちを奮い立たせたのはやっぱり

「お祝いだから」

だった。 一生に一度の、新郎新婦のお祝いなんだ。
晴れの日を作るんだ。

そして迎えた、二次会当日。
「新郎&新婦」のプラカードを持ち、
ブラスバンドの曲とともに元気よく入場するパンダを見て。
手を叩きながら笑ってくれる列席者に囲まれて。
わたしは、滝のように泣いた。

披露宴で新婦が読んだ両親への手紙より泣いた。
控えパンダは、廃園になった遊園地でしこたま子どもたちからボコボコにされたのか、背中のあたりが信じられないくらい黒ずんでいたが、それすらも英雄の勲章に見えた。

わたしの餞(はなむけ)は、あのパンダであった。

すべてが終わり、新郎と新婦から
「すごく楽しかった!ありがとう!」
と喜んでもらい、これまでの苦労などは脳裏から吹き飛んだわたしは、心から伝えた。

「結婚おめでとう」

お祝いだからね。

さて。
わたしの馬鹿話は横に一旦置いておくとして、「お祝いだから」の言葉には、ここぞというときに人を突き動かす、凄まじいパワーがある。

その一言で、面倒くさいドレスアップも、金額の跳ね上がったあらゆる見積もりも、四肢がバラバラになるんちゃうかと思うような体力の無理も、裸踊りすらもできてしまう。

お祝いには、おめでたい、というだけでは説明できない何かが宿っているのではないか。

お祝いとはなにかを考える前に、お祝いの反対語を調べてみた。
「弔事」かなと予想したが、どうやら違った。
お祝いの反対は、「呪い」だった。

わたしが作家として活動を決める前から、お世話になっている編集者と、「呪い」とはなにかを考えてみた。

釘で藁人形を打ち付けるイメージは浮かぶけど、現代っぽくない。

「呪いって、雑なラベリングのことじゃないかな?」

彼は言った。

「お前は◯◯だからこうすべき、とか、◯◯だからこれをしてはいけないとか。人の数だけ事情があるのに、勝手にラベリングして、良くも悪くも押しつけるってこと」

それを呪いとするならば、わたしはきっとこれまで、他人から何度も呪いにかけられてきた。

障害のある弟がいるんだから、しっかりしなさいね。
お父さんを早くに亡くして、かわいそうにね。
歩けなくなったお母さんの、そばにいてあげないとね。
女の子なんだから、もっと周りに気をつかった方がいいよ。

慣れているのもあって、怒ったり泣いたりしたことはなかったけど、そういうことを言われるたびにわたしは情けない苦笑いで返してきた。それはつまり、無意識の小さな抵抗だった。

言い返せなかった。
だって相手は、良かれと思って、言ってくれているのだから。
他人の善意は、踏みにじってはいけない。

雑なラベリングは、少しずつわたしに、ストップをかけていく。

「しっかりしないとなァ」
「周りに気をつかえるようになりたいなァ」

でも心のどこかで、窮屈さを感じていた。
そのストップを解いてくれたのは。

母や、編集者の人たちが、かけてくれた言葉だ。

「好きなことをしているときのあなたが、一番いいよ」

見ていて楽しいよ。安心するよ。幸せになるよ。
そんな意味を同時に感じ取った。

それはつまり、呪いを祓う、祝いの言葉だった。

幼いころから、母は冗談混じりにわたしへ教えた。

「他人の家族と恋愛とお金のことは、それぞれ正義が違うから、首を突っ込んだらいけないよ」

あれは有象無象のウワサに揉んで揉まれての関西人ならではの教訓かと思っていたが、母なりの祝いの言葉であるとも捉えられる。幸せとは、人それぞれだ。はたから不幸せに見えても、勝手にお節介を焼くのではなく、困って助けを求められるまでは黙って見守るのだ。

結婚式には、新郎と新婦が歩んだ、さまざまな時間をともに過ごした人たちが参列する。

無垢だったとき。
しんどかったとき。
楽しかったとき。
病めるとき。
健やかなるとき。

集まった人それぞれ、新郎と新婦へ持つ印象は違うかもしれない。だけど、積み重なる時間の上に「おめでとう」を置き、口にする。

どんな時でも、どんな道でも、それを幸せだと決めたあなたたちを肯定し、応援しますということ。呪いを祓う、祝いの言葉だ。

人生には、上り坂も下り坂もあることは、年齢を重ね、結婚式に参列する数が増えれば増えるほど、身に染みてわかる。

「どうかお幸せに」と祈る心には、同時に「その先に予想もしない別れや苦しみがあったとしても、どうか健やかで」と願う厚みが増してゆく。

父を亡くしたとき、葬式で立ち尽くす母のもとを訪れたのは、父の職場の上司だった。結婚式の次の再会が葬式だなんて、誰が予想できただろうか。

「つらい時は泣いてください。でも、お子さまの前ではどうかできるだけ、泣かないでいてください。勝手を申し上げて、本当にすみません。でも、子どもは親が思っているより、たくましく生きてゆく力があります。どれだけでも僕たちを頼ってくれていいですから」

その上司もわたしと同じくお父様を亡くしていたが、自分の前で泣き続けるお母様を見て、心に深い傷を負い、立ち直ることに後ろめたさを感じた経験をしていた。その申し出が、崩れ落ちそうになっていた母を支えてくれた。

わたしと弟が、父を亡くしたあとも、家で心穏やかに、楽しいことは楽しいと声を大にして過ごせたことにもつながる。

父と母は、祝われていた。
そして今も、祝われている。

「なんで結婚式って、あんなにたくさんの人を自分で集めなくちゃいけないんだろう。面倒くさいなァ」と、すこし冷めていた目で、見ていたわたしは、もういない。

お祝いなんだから。
そのお祝いは、いつかどこかで、つまづいたわたしを救ってくれるかもしれないから。

岸田 奈美(作家)
Profile
岸田 奈美(作家)

1991年生まれ、兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科2014年卒。在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」「30 UNDER 30 Asia 2021」選出。2020年9月『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)、2021年5月『もうあかんわ日記』(ライツ社)を発売。